ある宣伝文句
持ち帰っても、あのモチモチが生きている!
ここで、この文を取り上げるのは、決して宣伝文句にケチをつけるためではないことをまずは書いておきます。
宣伝通りに「モチモチ」で美味しいです。
ここでは、この文自体の言外の意図が気になったのでその理由を探ってみました。
言外の意図
この宣伝を聞いたときに思ったのは、持ち帰った場合、店で食べるほどのモチモチ感はないけど、まだモチモチ感は残っていますよ!と言外に言われているように感じました(個人的な感覚なのか一般的な感覚なのかはよくわかりませんが…)。
どうも「生きている」という語にひっかかります。
もし、店内でも持ち帰りでも同じモチモチ感であると伝えたいならば、次のような宣伝文句になったと思われます。
持ち帰っても、あのモチモチのまま!
ですが、実際の宣伝文句は、「~あのモチモチが生きている!」です。「生きている」という語を使用してるのが気になったのです。
「生きている」って?
具体例を挙げると、
1(凄惨な事故現場で生存者を発見した場合)「彼(彼女)はまだ生きているぞ!」
2(余命1か月を宣告されたペットの犬がそれから1年後にも生きている場合)「まだ生きています」
という文脈で「生きている」は使われることが多いと思います。
例1は、生存者はいない、全員死亡したと思っていたのに予想外に生存者がいた場合に思わず発した「生きているぞ!」です。
例2は、余命宣告によればすでに死んでいたはずだけど宣告通りにはなっていない場合に発した「まだ生きています」です。
ここからわかることは、「生きている」という語が死を意識している場合の言葉だということです。「生」の言外には「死」があるといえます(「生」という言葉自体の中に「死」が含まれているといった方が正確なのかもしれません)。「死」との対比での「生」だとすると、「生」という語は対比としての「死」を意識したうえでの語となるはずです。
「生きている」という表現に、言外の「死」を読み取ってしまう(「死」を意識するからこそ「生」を理解することができる)からこそ、上記宣伝文句が「まだモチモチ感は残っていますよ!」と言外に言っているように感じたのだと思います。
「死」を想定したうえでの「生」ですから、上記宣伝文句は、時間がたてばモチモチ感がなくなる(つまりモチモチ感が死ぬ)ことを想定しながらの、持ち帰って時間がたってもあのモチモチ感が残っています、と言っているように感じるのだと思います。つまり(くどいですが)、時間の経過によりモチモチ感がなくなっていくことを想定しながらの、持ち帰ってもあのモチモチ感が生きている、ということなので、店から出た瞬間からモチモチ感は減少していくが、家に着いてもあのモチモチ感はまだ残っているという意味を感じるのだと思います。
素晴らしい宣伝
ということは、持ち帰っても、あのモチモチのまま!という表現とは厳密には違うことになります。「まま」を用いれば店で食べる場合も持ち帰った場合もモチモチ感は同じだということですから。しかし、厳密に言って、時間がたてばモチモチ感は減少していくはずですから「あのモチモチのまま!」という表現は紛らわしい宣伝となります。その意味でも上記の宣伝文句は客観的に正しいことを言っているわけです。偽りのない、それでいて麺のおいしさを伝える素晴らしい宣伝だと思います。
---終---
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