インタビューでの発言
テレビの取材を受けた方が次のようにおっしゃっていました。
(洪水のように水が駅構内に流れている状況を撮影していた撮影者の発言)「周りの人が悲鳴を上げているのが見てとれました。」
なぜ「見て取れました」という表現になったのだろう?と思いました。「わかる」とどう違うのでしょうか?
例
1 状況が自分に不利だと見てとるや否や彼は逃げた。
2 状況が自分に不利だとわかるや否や彼は逃げた。
ここで、辞書によれば、
「見てとる」
「見てさとる。見破る。看破する。」(大辞林第四版)
「見て、まわりの情勢や相手の真意などをすばやく察知する。さとる。看取する。」(広辞苑第七版)
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「わかる」
「①物事の意味・価値などが理解できる。②はっきりしなかった物事が明らかになる。知れる。③相手の事情などに理解・同情を示す。④離れる。分かれる。」(大辞林第四版)
「①きっぱりと離れる。別々になる。②事の筋道がはっきりする。了解される。合点がゆく。理解できる。③明らかになる。判明する。④世情に通じて頑固なことを言わない。」(広辞苑第七版)
となっています。簡単に言えば「見てとる」は、“察知する“で、「わかる」は“はっきりする“です。
「察知」とは、“おしはかって知ること“(広辞苑第七版)で、
「おしはかる」とは、“ 既知の事柄をもとにして、未知の事について見当をつける。推量する。推測する。” (広辞苑第七版)
という意味です。
「見てとる」と「わかる」の違い
「見てとる」とは、“察知する“ということですから、既知情報をもとに未来のことを予測する(見当をつける)という意味で、“はっきりする“を意味する「わかる」よりも不確かなことを意味します。
そうであれば、
1 状況が自分に不利だと見てとるや否や彼は逃げた。=自分に不利になりそうだと予測した(見当をつけた)彼は逃げた。
ということになり、
2 状況が自分に不利だとわかるや否や彼は逃げた。=自分に不利になったことがはっきりしたので彼は逃げた。
となります。
自分に不利なことがはっきりしたから逃げた2とは違い、1では、自分に不利なことがはっきりはしていないが、不利だと見当をつけて逃げた、となります。
インタビューでの発言の意味は?
以上を前提とすると、インタビューでの発言
(洪水のように水が駅構内に流れている状況を撮影していた撮影者の発言)「周りの人が悲鳴を上げているのが見てとれました。」
は、撮影者からみて、周りの人が悲鳴を上げていると推測された、ということになります。駅構内に流れ込む水の音や豪雨の音に悲鳴がかき消されるような状況で、撮影者は悲鳴を上げているような周りの人の態度を見て、(はっきりと悲鳴が聞こえたわけではないが)悲鳴を上げていると推測したという状況であったことが想定されます。
まとめ
このように考えると、駅構内に流れ込む水の音、外の豪雨の音がどれだけ凄まじかったのかが想像できますね。
---終---
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